カテゴリ:アートレポート( 17 )
「身体」を手放す気持ちよさと「身体」の孤独ーAdatarA Dance Live 2017.8/12
「身体」を手放す気持ちよさと「身体」の孤独

去る2017.8/12。
東京のギャラリー「EARTH+GALLERY」(http\://earth-plus.net/)にてAdatarA Dance Liveが開催された。

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ギャラリー空間は、開催中の石川慎平 個展「active」 が開催中。その中で、4人のダンサーが疾走し、共鳴する1時間。

フランスを拠点に活動するイスマエラの呼びかけで集った、黒田なつ子、JULES LEDUC
チリチリバンバン。

同じ身体表現でも出自の異なるジャンルのダンサーが集いそれぞれの持ち味を殺すことなく尊重する優しさがそこにあった。

その時間に身を置き、感じたことは【「身体」を手放す気持ちよさと「身体」の孤独】。

少し感じたことを以下に記す。

規制や管理が生活のほぼ全てを覆い尽くして萎縮してしまっている今日。それは概念だけでなく、身体に対しても同じように働いているように私には感じられる。


その中で、観客の側から表情も豊かに動いた後、ホワイトキューブの中を全力で駆け抜け、風を発生させるイスマエラのムーブメント。
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ダンサー2人ずつの組み合わせでジャンルを超えて共鳴する身体表現の構成。

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4人と1つの彫刻作品がつくるどこかの洞窟の中で行われる宗教的な祭事の場面。


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狭い空間の中、ともすると大きな事故が起こるのではないかとも思わせるほどの身の投げだし方をみていると、身体をどうにか手放し、その先にある身体で遊んでみたいという感覚を覚える。小さい頃、長い坂を危険を顧みず駆け下りていくような。

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2人ずつのダンサーが見せるムーブメントには、身体を持っていることの喜びと、その身体が他者との圧倒的な距離をつくるものでもあるという「孤独」をも感じさせる時間だった。自分とは絶対的な違いを持つ身体をどうにか共鳴させようと、あるいはその違いを尊重し、多いに楽しもうとする態度。


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最後の宗教的な場面は、現在の様々な状況の中で、「身体」を持ち生きていくことの自由さと不自由さ、別々のものがそれぞれに生きながら共鳴できる可能性を信じれるような時間だった。JULESの塩ビパイプを用いた重低音が響くなか、ダンサーたちは各々の表現を広げながらフィナーレを迎えた。


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彼らの今後のパフォーマンスもとても楽しみ。

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Dancer
イスマエラ
黒田なつ子
JULES LEDUC
チリチリバンバン

Vj
inoue kazuhiro

Sound control
daiki obata


●イベントフェイスブックページ

https://www.facebook.com/events/107586009932463/?acontext=%7B%22ref%22%3A%2222%22%2C%22feed_story_type%22%3A%2222%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D&pnref=story

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by shunya-asami | 2017-08-15 21:10 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」展を観て
アーツ千代田3331にて開催されている「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」展を観る。

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この手の展示は、現場は他のどこかや、過去にあり、アーカイブを中心に観ることになるのだけれど、どこか墓標みたいな印象と、教育的働きかけを感じる。後、まとめられていく窮屈さ。

ネガティヴな意味でなく、こうした展示の外側には生きた現場があり、人がなにかを目指して行うアクションの熱がある。

過去化、アーカイブ化、資料化、展示化、アート化、されて行く事と、現場の「差」や「間」に、大事な「核」になるようなものがあるのではないかと改めて考える機会になった。

そこで、さいたまトリエンナーレを振り返ると、そうした過去化、アーカイブ化、資料化、展示化、アート化、していきながら、現場も会期中走り続けている面白い芸術祭だったなと思う。

帰った後、手元のクレア=ビショップ著『人工地獄 現代アートと観者の政治学』をパラパラと読み返していた。そこでハイライトが当たったテキストがあったのでざっくり概要をメモしておこうと思う。

フェリックス・ガタリは著書「カオスモーズ」の中で、今日私たちが頻繁に出合う領域横断的なプロジェクトーとくに、芸術としての教育ーでは「二重の目的因」を持たねばならないとした。1つは芸術に対する批評として、もう一つは芸術が浸透する体制の批評として。こうした芸術は臨場的にそこにいる参加者と事後的に存在する鑑賞者たち、この両者に向き合う必要があり、それは芸術及び社会領域の双方において功をなさねばならない。

とガタリの思考を例に出し、著者は指摘している。

つまりアートプロジェクトが行われる「現場」と「その後」についてそれぞれに働きかけ、その交差点に生まれたものは何かを見出していくこと。そして見出したらそれを工夫して伝える(現在はその基準がなかったり曖昧なので基準自体をつくりだす必要もある)ことを模索し続ける必要がある。言って見れば当たり前のことなのだけど、それをいざ行おうと思った時、途方に暮れてしまう。

止めずに諦めずにゆっくりと探していきたいと改めて感じた。

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さいたまトリエンナーレ2016
https://saitamatriennale.jp/

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展覧会は3/5まで。
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by shunya-asami | 2017-02-27 19:50 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
【SMF・ワークショップレポート】 『おむすび コロリン おなかの旅 』
【SMF・ワークショップレポート】

『おむすび コロリン おなかの旅 』

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去る11/11・12の2日間。

秋の暖かい陽だまりの中、SMF(サイタマミューズフォーラム)ならではの様々な表現ジャンルの作家が集まったプログラムを開催しました。場所は、北浦和公園と埼玉県立近代美術館。2つの異なる場所をステージにダイナミックな身体表現と造形美術のワークショップを行いました。

テーマは「おなかの旅」

ダンスの舞台となるインスタレーションの骨格「テトラ」はJIA埼玉の建築家の方々が建築廃材を利用して制作。
ダンスのムーブメントは埼玉県舞踊協会理事/彩のくに創作舞踊団、藤井さんのチームが担当。
プログラムの音楽は、東京電機大学理工学部の学生さんのチームが担い、私は、「等身大の自分」を描く造形ワークショップとインスタレーション、美術館の展覧会ガイド等を担当しました。

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1日目の11/11。
「等身大の自分」を、胎内にいたときの胎児のイメージで制作。
北浦和公園に配置された「テトラ」に展示する事で、胎内から元気よく飛び出すムーブメントと繫げました。

制作の後、美術館の中にある作品を鑑賞。
作品を制作する事で、感じられる他者の作品の放つ感覚を感じ共有する時間になりました。

2日目の11/12。

ダンスのムーブメントを中心に制作し、完成した造形作品との関連を意識した動きが出来ました。

1日目に制作した「等身大の自分」の中でぐーっと縮こまった動きから元気よく飛び出す動きを繰り返した後、元気に「テトラ」の周りを動き、衣装についているおにぎりやケーキといった食物を食べる動きをパワフルに展開した後、美術館の中へ。

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「おなかの旅」は、「自分をつくっているものを考える旅」でもあります。

美術館の講堂には、「テトラ」が複雑に組み合わさり「管」の様に配置。これは体内の「腸」をイメージしたもので、そこに自分の「栄養」となったもの(食べて栄養になるものだけでなく、今の自分を形成している本や思い出の写真、大切な品々)を配置して舞台装置のインスタレーションをつくりました。

そして、その中をくぐり抜け、栄養を十分に摂った後、外の世界に元気よく飛び出してプログラムは終了。

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このプログラムを通して、「今の自分を形作っているものはなにか」について考える機会となりました。

私自身としては、美術館全体をおなかの中に見立てた事で、おなかの中にある作品たちはそれぞれ、どのような「栄養」となっているのかを考えるのかがとても面白かったです。

最後に、参加して頂いた皆様、プログラムをつくるにあたり支援して頂いた皆様に深く御礼申し上げます。

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この企画は、今年「食」をテーマに埼玉県内の様々な場所でアートのプログラムを展開している『あなたと どこでも アート・おかわりプロジェクト』の1つとして、北浦和公園と埼玉県立近代美術館を舞台に繰り広げられた、ダンスと造形美術のワークショップです。

詳しくは→ target="_blank">http://www.artplatform.jp/
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by shunya-asami | 2016-11-17 19:45 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
『FLUXUSー未来の発見の仕方:フルクサスの場合ー』鑑賞レポート
【展覧会レポート】
                                   
フルクサス:一緒に遊びたくなるアート

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今日は埼玉県立近代美術館での打ち合わせの後、うらわ美術館の『FLUXUSー未来の発見の仕方:フルクサスの場合ー』をじっくり観る。
                                   
この展覧会。さいたまトリエンナーレ2016連携事業であるが、25日まで。ちなみにさいたまトリエンナーレは、24日から。さいたまトリエンナーレで街を歩きながら、美術館でフルクサスを観るなんてかなり素敵な流れだったのに、実現できるのは、24日、25日のみ!
                                   
フルクサスのアートには、『共有のアイデア』が沢山詰まってる。
                                   
私は、『一緒に遊ぼうよ!』っていうのが、アートの本質的な役割の1つであると考えているけど、フルクサスにはそれが沢山ある。
                                   
フルクサスキットはおもちゃ箱のようだし、斉藤陽子の斜めのチェス、ハット・チェス、オノ・ヨーコのボックス・オブ・スマイル、塩見允枝子の作品群…
                                   
あるものが、揺らぎなく生きることが出来る「日常」になり、見えなくなってしまったものたちで、もう一度あそびを考えている。そんなにおいがフルクサスの作品にはある。
                                   
塩見允枝子の岡山の水とその指示書に対する、ジョージ・マチューナスの「答え」がとても面白かった。
                                   
「沢山の手垢がつき、固く意味をつけられてしまったものほど、それでもう一度あそんでごらんなさい」というinteractionが聞こえてくるような時間だった。
                                                                                                                                            
以下リンクより抜粋

うらわ美術館

http://www.city.saitama.jp/urawa-art-museum/

2016年9月6日(日曜日)~2016年9月25日(日曜日)

さいたまトリエンナーレ2016連携プロジェクト コレクション特別展 未来の発見の仕方:フルクサスの場合

開館時間午前10時~午後5時、土曜日・日曜日は午後8時まで(入場は閉館の30分前まで)

休館日月曜日(9月19日は開館)、9月20日(火)                                                                    
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by shunya-asami | 2016-09-09 19:37 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
坂出アートプロジェクト-人工の地層と人の夢-
【展覧会レポート】

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昨日は、芸術祭の会場である綾川町から車で30分ほどの坂出市で行われているアートプロジェクトを見に行きました。

坂出の町も、アーケード街はシャッターが閉まっている店舗が多く、昔の人の行き交いを想像できるだけに、どこか異次元に迷い込んだような感覚になります。

アートプロジェクトの主な舞台は、旧藤田外科という病院と不思議な設計の団地の空き店舗です。

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旧藤田外科では、X線室や手術室や病室に作品が展示されていました。空間のインパクトが強いだけに作品が成立しにくいように感じましたが、X線室に展示されていた松田有生さんの作品は、見えるものと見えないものの曖昧な境界を感じさせる、とても空間に合った作品でした。また病室では、高松工芸高校美術科の生徒作品もありました。「病院は人生の中で、非日常が起こる空間」と捉え、「限りある時間と命」を「ロウソク」という形で表現していました。
こうした一連の空間の中で、アーティストと高校生の作品が同時に見られる試みはとても有意義だと感じました。

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坂出人工土地では、空き店舗に作品が展示されていました。
宮脇慎太郎さんの「Daydream Under the Bridge」の一連の写真作品は、流れていく時間を写真を通して再認識していく作品でした。当時の記憶が強ければ強いほど、現在に流れ込む時間との乖離を実感しますが、その時間の間に写真がどのような働きをするのかを問うような作品でした。

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その後、かがわ・山なみ芸術祭、綾川エリア招聘アーティストの旅する服屋さんユキハシトモヒコくんが、坂出異文化研究所の千葉尚美さんからイベントの企画を依頼された「DASA⭐️ナイト」へ参加。
                   
坂出異文化研究所は会期中毎週土曜日にイベントの企画があり、地元の人もふらっと立ち寄り様々な話ができるスペースになっています。
                                                             
今回の「DASA⭐️ナイト」はドレスコードが「ダサい服」ということで、改めて「ダサさ」について考える機会になりました。そうすると私は、中学生の時の「体操着のズボンへのイン」がとても周囲に敏感だった時期の象徴的な「ダサさ」であることに気づきました。またルーズソックスやスケバンの長いスカート、ミニスカートなど、制服等にまつわるエピソードに「時代や集団の価値観」が見え隠れし、場所や時が変われば別のものに変わるような実態のなさも「ダサさ」であると話が弾みました。

また、天下統一プロジェクト香川篇を進行中の「天下布武・信長」氏も馬で来場。制作の進行を報告し、代表曲「野望」を熱唱♪
しかし、この空間で熱い魂の曲は、これまたなんとも言えないくらいダサい。

終始、皆ダサい服なので冷静になりあたりを見渡すとお腹がよじれるくらい笑ってしまいます。こうしてこのことを文章にしているのもなんか「ダサい」なって今思っています。
                                                             
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以下公式ブログより展覧会詳細

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-人工の地層と人の夢-

坂出の街を俯瞰で見た時に建築物は記憶を保存する入れ物の集合体のように見えた。坂出がかつて抱いていたユートピア的なヴィジョン。あるいは個人が夢見た事。それらの記憶の詰まった入れ物を16組のアーティストがそれぞれの表現方法を用いて、記録し、新しい記憶を更新していく展覧会を開催します。

会 期 /2016年3月13日(日)- 5月6日(金)
開館時間/11:00-18:00(最終受付は17:45まで、平日の月曜休館)
会 場 /旧藤田外科医院(香川県坂出市本町3-1-28)
     坂出人工土地(香川県坂出市京町2丁目坂出人工土地1階)
入場料 /旧藤田外科医院=300円
     (※高校生以下、各種障害者手帳をお持ちの方は無料)
     坂出人工土地1階=無料
アクセス/https://www.google.com/maps

本展覧会は、坂出に存在する2つの対照的な歴史的建築物において行われます。坂出人工土地は、1960年代〜1980年代に構想、建築されたモダニズム建築です。集合住宅、商店、市民ホールが1つの建築物の中に収まっており、当時としては画期的なものでした。その人工の地層には、社会の描いた夢が堆積しています。また旧藤田外科病院は1950年代に建てられ、病院という特異な場所性から、そこに通った人達の思いが見え隠れし、この空間には個人が描いた夢を感じることができます。2つの会場と坂出の街を回遊する中で、現代に至るまでに深々と降り積もった時間と、大きく変化を遂げていった個人と社会の関係を見つめ直すと共に、坂出という地方の一都市が目指す新たな関係性を模索する機会となれば幸いです。

https://sakaideart.tumblr.com/   



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by shunya-asami | 2016-03-20 03:40 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
「岡部昌生 展」@トキ・アートスペースを観て
昨日は岡部昌男さんのギャラリートークを聞きに、トキ・アートスペースへ。

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岡部さんとは夏に広島のgallery-Gで開催された展覧会でお会いし、制作についてのお話を伺った。
                                                                            
その広島から出発し、「被曝樹に触れて」という被爆70年祈念連携プロジェクトが沖縄、名古屋、福島、札幌、東京と旅をしてきた。

岡部さんの作品紹介には

「そこから動くことの出来なかった樹木に、動くことのできる美術家が触れた生命の存在。
土地の、場所に流れた時間に抱かれ、静かに向き合う時間をつくりたいと思いました。」

と記述されていて、動く事の出来ない樹木を動ける人間が手でその痕跡を擦り出し、作品とすることで、その動けないはずの樹木があたかもそこにあるかの様な存在感で迫ってくる。

ギャラリートークの中で、地面を擦りとることは、視点を下げ、通常見えているものとは違う世界を見ることも出来、広島の平和記念公園でのワークでは、かつて賑やかだった街がこの地面の下にあったことを多くの人と共有しながら制作したと話されていたことが印象的だった。

来年はあいちトリエンナーレで今年の制作された作品群も発表出来ればと語られていた。

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以下展覧会詳細
                                                                            
岡部昌生 展
MASAO OKABE

Touching A-bombed Tree in Hiroshima
被爆70年祈念連携プロジェクト
「被爆樹に触れて」

2015年11月30日(月)~12月5日(土)
11:30-19:00
※会期中無休

■トークショー 
ゲスト/アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評)
2015年12月5日(土)16:00~18:00

トキ・アートスペース
http://homepage2.nifty.com/tokiart/2015/151130.html
                                                                                                                                                        
●関連リンク
「被曝樹にふれて」gallery-Gでの展覧会をみて
http://asaworks.exblog.jp/22095126/ 


                           
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by shunya-asami | 2015-12-06 00:32 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
混浴温泉世界フィナーレイベント」『わくわくどりのカーニバル』をみて
去る2015年9月27日に開催された「混浴温泉世界フィナーレイベント」

『わくわくどりのカーニバル』

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素敵な鳥の衣裳に身をつつみ、ダイナミックな動きで空間を舞うカーニバル。

「ベップ・秘密のナイトダンスツアー」参加アーティストの北村成美さんと旅する服屋さんの行橋智彦さんを中心につくりあげた素敵な時間でした。

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行橋智彦さんは今年の7月にKAPL(コシガヤアートポイント・ラボ)で染色のワークショップを実施して頂きました。(http://kapl.exblog.jp/i72/

特に、わくわく混浴デパートメント、トキハ別府店7階に設けられたチクチクルームでは、連日こどもからおじいさんまで沢山の人でにぎわい、衣裳づくりを通して、カーニバルの準備が進められていました。

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最後は信長さんの曲に合わせ、観客も一体になって歌いながらのパフォーマンス!

皆充実した笑顔で締めくくりました。

出演者の皆様。本当に素敵な時間をありがとうございました。
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by shunya-asami | 2015-10-01 16:02 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
「身体」の認識—ヨコハマダンスコレクション『SEPTEMBER SESSIONS—』をみて
 昨日(2015年9/20)、横浜赤レンガ倉庫でヨコハマダンスコレクション『SEPTEMBER SESSIONS—』をみた。中でも得に印象的だったのが梅田宏明氏の『5.waves』。             

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2月13日に同じ場所で梅田氏が開催した、 及び過去に制作されたインスタレーションとダンス作品のショーイング・プレゼンテーションを拝見した事がある。
                                                                         

そのプレゼンでは、

梅田氏自身が「ダンスを学ぼうとした時にどのように学べば良いか分からない」時、「ムーブメントのリサーチと実験の機会や場、世界的に共有できるメソッドの確立」を切実に感じたというダンス観から始まり、その具体案のひとつがSomatic Field Projectであるとの説明があった。

Somatic Field Projectは、日本の若手ダンサーの育成と、自身のムーブメント・メソッドの発展を目的としたプロジェクトである。(HPより抜粋)

プレゼンの中ではそのSomatic Field Projectで行っている自身の開発した、いくつかのメソッドを説明し、実際にそのメソッドによる数名のダンサーによるパフォーマンスがあった。

次に、『kinesis #1 – screen field– 映像インスタレーション(身体のないダンス作品)』の発表、そして、梅田氏の初期作品のひとつである『while going to a condition』のショートバージョンの上演を通して、今後の活動の広がりを感じられる発表であった。                                                                         
                                                                         

そして、プレゼンから約7ヶ月の時間が流れた、昨日の『5.waves』。

薄暗い明かりの中、6体の「身体」(あえてダンサーとはせず「身体」とする)がデジタル音に合わせ四肢を動かす。
「身体」が交錯し、止まり、重なり、捌け、また現れ動き、交錯し、止まり、捌ける。まるで機械のように正確にプログラミングされた「身体」が目の前で四肢を動かし続ける。

そして後半、思いがけない事に気付く。

それは、目の前で動いている「身体」が「ダンサー=人間」であるという事。

後半、6体の「身体」は汗をかき、前半よりも手の上がる位置が若干低く、呼吸の乱れがあった。その時初めて、目の前で動き続ける「ダンサー」に焦点が合い、「ダンサー」の差や癖、身体の特徴等を感じることができた。その時、今までに無い強度を持って「ダンサー」の個別のムーブメントが迫ってくる感覚を味わった。

闇雲に身体で出来る表現を模索して生み出された作品より、まるで機械の様に身体を動かし続けた時に滲み出る個別の「身体性」。

それは、梅田氏が「世界的に共有できるメソッドの確立」を目標とするSomatic Field Projectのひとつの「表現」であると感じた。

こんなにも「身体」を感じることが出来るダンス作品をはじめてみる事が出来、とても大きな感銘を受けた。                                                                         

今後のSomatic Field Projectにも注目したい。                                                                         





関連リンク
・http://hiroakiumeda.com/S20CV2015_1_1JP_web.pdf                    

・http://akarenga.yafjp.org/SS/2015/
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by shunya-asami | 2015-09-21 23:34 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
NHK広島放送局放送『被爆70年 被爆樹木を撮る』の制作者、増田祐二さんとのインタビュー
去る2015年7月30日(木)に放送された
『被爆70年 被爆樹木を撮る』
—「NHK広島放送局「お好みワイドひろしま」


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その番組の制作の為に、カメラマンの増田祐二さんからの事前インタビューがありました。
質問に答えながら、無意識にあるものを誰かに伝えようとしたとき、自分が大切にしているものや考えている事などについて大きな発見をする時間になりました。今回、取材という貴重な機会に恵まれ、じっくりと自分の制作・作品について考えることができました。

以下に記します。(掲載許可はいただいています。)

M:(増田さん)
A:(私)


M:広島で撮影しようと思ったきっかけはなんですか?


A:2011年の東日本大震災を経験し、「原子力」について考えた時、広島の「原爆」が頭をよぎりました。それまで広島へは行ったことが無かったのですが、2012年の8月に原爆ドームの前に立ちました。鈍器で後ろの頭を叩かれた様な衝撃と同時に、強いバリアの様なものを感じました。そのバリアは「生きているもの」が立ち入ることの出来ないもので、原爆ドームの柵の向こうは「あの瞬間から時間が停止していて死んでいる」ように感じました。ベンチに座りぼーっと観光客が写真を撮っている姿を見ていました。私は、「時間が止まり、死んでしまっている原爆ドーム」をカメラを使い、写真を撮ることで時間を止めても「何かが進む」とは思えませんでした。暑い夏日でしたので喉が乾き、休憩所に行きました。その時に「被爆樹木マップ」を目にしました。


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(計画停電により信号が消えている交差点 2011年3月17日)

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(北千住駅 2011年3月27日)

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(埼玉県越谷市のコンビニ、棚からは商品が全て消えている。地震の詳細も分からない為、地震の名前も曖昧 2011年3月14日)

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(はじめてみた原爆ドーム 2012年8月19日)




M:なぜ被爆樹木を撮影しようと思ったのですか?


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(休憩所に置いてあった被爆樹マップ)


A:「被爆樹マップ」を手にして、内容を読んでみると、原爆ドームと同じ経験をした木が現在も生きていることを知りました。早速一番近い被爆樹木のシダレヤナギを訪ねました。爆心地から最も近い370mで被爆したシダレヤナギの木。土手沿いにひっそりと佇み、風に葉を揺らしている姿をみた時、喜びと感謝と寂しさ、悲しみが入り交じるような感情になり、言葉にならない気持ちになりました。
その時、生きているものどうし、リンクできる感覚が生まれました。

そしてこの被爆樹木のあの瞬間から現在まで「生きている時間」を写しとりたいと考えました。




M:被爆樹木が表す意味や魅力、被爆樹木を通して感じることはなんですか?


A:私たちと同じ時間軸を「生きている」ということが一番の魅力です。

原爆ドームは「死んでいる時間」を持ち、現在生きている私たちはなかなかリアリティを持ってそのものと向き合うことが困難であると感じています。けれど、同じ原爆による経験をもった樹木が私たちと同じ時間を生き、花を咲かせ、葉を茂らせ、落葉する。生きているものどうし、リアリティを持って向き合うことが出来ると感じています。

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(爆心地から最も近い370mで被爆したシダレヤナギ)





M:フォトグラムという手法を用いて、被爆樹木を撮影する理由を教えてください。


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A:被爆樹木の「生きている時間」を写しとりたいからです。

フォトグラムは、カメラを使わずに対象そのものを写し取ります。
ほぼ原寸大で、時間そのものが感光紙に焼き付けれることが、被爆樹木の「生きている時間」を表現するのに適していると考えています。


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(8:15 8/6 2014 呼吸する影—被爆樹木シダレヤナギ―)




M:今回、広島で作品を展示する意図、また『呼吸する影』のシリーズを各地で見てもらう意味について教えてください。


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(gallery-G での個展風景)

A:ヒロシマのこと、ひいては先の戦争のこと、現在起きているテロや争いについて、リアリティを持って一緒に考える機会をつくる為です。

テロや戦争が世界各地で未だに起きていて、その課題を解決する方法を模索し続ける必要が私たちにはあると考えています。けれど、私たちは直接戦争を体験している訳ではなく、またそういった状況は遠い世界の出来事のようにリアリティが薄いのが現状であると思います。私も、被爆樹木に出会う前はそうでした。ヒロシマの被爆樹木は、原爆の経験をその身で体験し、現在も生きている樹木です。私たちと同じ時間を生き、毎年成長する被爆樹木だからこそ、私たちが生きている「現在」、「未来」について考えられると考えています。

そしてそれを押し付けること無く提案できるのがアートであるとも考えています。





M:作品を通して、見る人に伝えたい想いはなんですか?


1945年8月6日の出来事は[過去]の出来事ではなく、被爆樹木が今生きているように、[現在進行形]であること。

その現在も流れている時間を作品を通して表現し、作品を観た方に、今生きている「現在」、そして「未来」について考える機会になれば幸いです。





M:平和や戦争を考えるうえで、アーティストができることは何だと考えていますか?


A:アーティストができることは、常に「現在」に働きかけることであると思います。

私は、被爆樹木を通して「現在」を造形化し、その作品を通して多くの人と対話をしたいと考えています。





M:今後の活動について教えてください



A:70年の節目や、8月6日だけがヒロシマではないので、継続的に制作が出来る様工夫したい。

国内、海外で作品を発表したい。





M:被爆70年を迎える広島で展示する意味についてどのように考えていますか?



A:今年で制作を開始して4年目になります。丁度70年の節目にヒロシマで展覧会を開催できることになりました。

節目の年は、沢山の人の意識がヒロシマや戦争について向いていると思います。そういった中で展覧会が出来ることは多くの人が興味を持ってくれる機会が増えるためとても光栄です。

しかし、その時だけ思い出したかの様にヒロシマや戦争について向き合うことに違和感を覚えます。

被爆樹木は私たちと同じ時間を生きています。今もちょっとした変化をしています。そういった「傍らに存在を感じ、共に生きている」という
感覚で、今後のヒロシマや戦争について考えていくことがとても重要である様な気がします。大きな変化は小さな変化の積み重ねによるものです。「小さな葉は突然大きくなるのではない」と、私は被爆樹木の撮影を通して強く感じています。


以上が番組制作前のやり取りになります。

増田さんとの交流を始まりとし、展覧会を開催、そして展覧会を終える頃、沢山の来場者の方々とお話をする機会がありました。そして、なぜ広島に訪れたのかが、自分自身の中で、少しずつ言葉とイメージになってきました。
イメージでは、福島第一原発の屋根が崩壊した時に剥き出しになった鉄骨。それと原爆ドームの屋根の鉄骨が重なったことを思い出しました。
2014年に制作した作品集『呼吸する影—SHADOW OF BOMBED TREES—』にも書きましたが、故郷に住めなくなり、他の土地で生きる事を強いられた人たちをみた時、「戦争」のようだ。と強く感じました。その「戦争」という言葉からも広島への土地への関心は高くなっていたのだと今振り返ると強く感じられます。

私の大叔父も福島の原発の作業員でした。当日は運良く災害を免れましたが、その後、とても元気だった大叔父は原因不明の病気で倒れ、帰らぬ人となりました。福島で生まれ育ち、福島に住む事が困難になってもその土地への思いが誰よりも強い方でした。このことは私の中で特別意識にのぼることはなかったのですが、広島での沢山の方々との交流を持つ事が出来た展覧会を終え、現在、いままでよりも一層、強く意識されています。


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(『呼吸する影—SHADOW OF BOMBED TREES—』2014年 2/18制作 36ページ フルカラー A5判 限定100部 )



●関連リンク

・「呼吸する影ー被爆樹木のフォトグラムー浅見俊哉作品展」 【被爆70年祈念特別Gセレクション】
http://asaworks.exblog.jp/21851107/

・『被爆70年 被爆樹木を撮る』—「NHK広島放送局「お好みワイドひろしま」平成27年7月30日(木)放送—
http://asaworks.exblog.jp/22175653/

・呼吸する影ー被爆樹木のフォトグラムー @gallery G 展覧会リポート①
http://asaworks.exblog.jp/22052217/

・呼吸する影ー被爆樹木のフォトグラムー @gallery G 展覧会リポート②
http://asaworks.exblog.jp/22066887/

・『呼吸する影ー被爆樹木のフォトグラムー』ポートフォリオシート
http://asaworks.exblog.jp/22123844/
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by shunya-asami | 2015-09-16 11:52 | アートレポート | Trackback | Comments(0)
岡部昌生さんの『被爆樹に触れて』に触れて
広島のgallery Gで開催されている、岡部昌生さんの『被爆樹に触れて』を観る。

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被爆樹木の幹の表皮をフロッタージュの手法で時間をかけ、擦りとることで現れる地肌は、人間の皮膚の様にもみえる。
また「石」の様な重厚感もある。原爆によって幹に空洞があったり、傷がある樹木の記録。その跡から長い年月をかけて生きてきた命の時間を感じる。

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展覧会にはとても素敵なテキストが寄せられている。
中でも湊さんのテキスト。「木が人を植えたのだ」の一説に、大きな感銘を受ける。

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本当に、忘れてしまった、きづかないことが多いと感じる。
作家の作品を通してそれを思い出したり、気付いたりする。

ふと、岡部さんの作品を観て、気付いたことがある。

私の『呼吸する影』シリーズは、感光紙で被爆樹木の枝葉をフォトグラムで撮る。幹を撮ることは難しい。枝葉は落葉し、次の季節に再生する。言わば生と死のサイクルが比較的短いモチーフを撮影している事。

『被爆樹に触れて』は、「石」の様な重厚感、幹の持つ不動感があるのに対し、『呼吸する影』は、枝葉が受ける「風」の揺れる様から、移り変わりをイメージし、軽やかさが感じられる。



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『16:40 8/6 2015 (呼吸する影ー被爆樹木アオギリー)』




同じ被爆樹木をモチーフにしながら、表現の方法が異なる事で様々なイメージが生まれてくる。とても良い視点を得た1日でした。

以前からお会いしたかった樹木医の堀口さんともお会いする事が出来ました。『木の声を聴く』事で被爆樹木と関わる堀口さんのお話も勉強になりました。

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これで、竹田信平さんから始まった、ギャラリーG【被爆70年祈念特別Gセレクション】4つの展覧会をコンプリートです。

先日は、被爆樹木アオギリを撮影。種が枝から溢れる勢いで垂れ下がり、風に揺れる様を撮影しました。また現像してご紹介致します。

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以下、garelly Gホームページより抜粋。

岡部昌生「被爆樹に触れて」【被爆70年祈念特別Gセレクション】

MASAO OKABE
Touching A-bombed Tree in Hiroshima

会期:2015/8/25(tue)-30(sun)
時間:11:00-20:00 (last day-17:00)
オープニングレセプション&アーティストトーク:8/25(tue)18:00-
ゲスト 堀口力さん(樹木医)

そこから動くことの出来なかった樹木に、動くことのできる美術家が触れた生命の存在。土地の、場所に流れた時間に抱かれ、静かに向き合う時間を創りたいと思った。
2007年6月8日、陽の沈んだヴェネチアのジャルディーニ。第52回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館は、宇品駅遺構から擦りとり採取した1500点のフロッタージュによる「ヒロシマの皮膚」に抱かれた被爆石が列をなして配置され、テンポラリーな歴史の現場となった。漆黒の、闇のような静寂な空間に、鉛筆が石を叩きつけるような擦過音が響く。ストロボが閃光のように、激しく左右に動く右手を射す。盲目の写真家ユジェン・バフチャルは、フロッタージュする音を聞きながら撮影をおこなった。
「ことばに表せない感動をえた。戦争は人を盲目にしたが、ヒロシマ以後あなたが制作することで、いったん盲目になった人に光を与える仕事が可能であることを示してくれた。ここまで来たかいがあった」と、ユジェン・バフチャルさんはそう語り、被爆したイチョウの樹膚を擦りとることを私につよく促した。「声を発しない」生命。それに触れて応えたいと思った。

http://gallery-g.jp/exhibition/okabemasao/
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by shunya-asami | 2015-08-30 14:17 | アートレポート | Trackback | Comments(0)



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