フォトグラムワークショップ開催のお知らせ@川越
【フォトグラムワークショップのお知らせ】

来る2017年4/2(日)

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川越で開催される「2017年 世界自閉症啓発デー Light it up blue川越」のイベント内
にぎわいマルシェにて、『影をつかまえるフォトグラムワークショップ』を開催します!
テーマは「川越を青く染めろ!」

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僕のワークショップは染めではなく、太陽光による焼き付けですが、青い素敵な作品を皆さんとつくり、川越を青く盛り上げたいと思います。
ぜひ遊びに来てくださいね。


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『影をつかまえる-Diazotype Photogram Workshop-』

■日時:
2017 4/2 (日)
10:00-16:00

■場所:
ウニクス川越 にぎわい広場

〒350-1124 埼玉県川越市新宿町1丁目17番地1

川越駅西口より350m 徒歩5分

■ワークショップの内容:

感光紙を用いて、自分の大切にしているものや集めているもの、外に落ちているものを組み合わせて
影の写真をつくるワークショップ。小さなお子様からご年配の方まで誰でも参加可能です。

■所用時間:

約20分

■材料費:

参加者一人 500円

■対象年齢:

小学生から(9歳未満は保護者同伴でお願いします!)

■イベント情報:

https://www.unicus-sc.jp/kawagoe/event/

■過去のワークショップの様子:

http://asa19821206.wixsite.com/shunya-asami/photogram1





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# by shunya-asami | 2017-03-30 02:00 | NEW!最新情報 | Trackback | Comments(0)
対治と同治について
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対治と同治という言葉がある。元々は仏教の言葉らしい。私がこの言葉を知ったのは五木寛之氏の「生きるヒント」という本からだった。

熱が出た時、氷で冷やす治し方を対治、暖かい布団で身体を温めて汗を出す治し方を同治という。傷ついている人に、くよくよするなと励ますのは対治、一緒に悲しみ心の負荷を降ろすのが同治。

この本の中には、ある医者の葛藤が記されている。外国の医学誌に発表された論文を読んで医学について自問する。論文の主な内容は、ある双子を妊娠した婦人が羊水診断の結果、1人に障害があることが分かった。婦人は、その子を子宮内で死亡させてほしいと医師に申し出る。医師達はこの願いに答え、もう1人の胎児、母親に悪影響が現れないように適切な処置をした。この論文を読み終えた後、その医者は「双胎児の一方を死に至らしめる動機や方法が否定しきれない。この医療行為は、自分が通常行っている、肺炎や小児ガンの医療と決して異質ではない。」と気づく。そしてこの医師は「やっぱり無理をしているのだろうか」と自省する。医学は無理をしている。その無理の本質とは、〈医学は否定を基本としている〉という点にはじまるらしい。目が見えないのはだめだ、四肢が不自由なのはいけない等、この否定を全ての出発点にしていると。神経性食欲不振症の子どもが入院した時、主治医も保護者も親身になって子どもが食べるようになるための同治の努力をした。しかし、その親身に対することは子どもにとって同治ではなかった。「食べないことは許さない」という一点においてこの子と対立した対治であった。親切から始まったものでも、医学は全て対治であって、つまり否定である。同治は現代の医学では成り立たない、そして現代の科学には、無理があるのだ。とこの医師は言う。

私はこの本を読んで感じた事は、医学だけでなく教育の場面でも、「学校に来なくてはいけない」という点で様々な親身な指導が、時に、子どもと対立した対治になり得るのではないか。子どもが、その価値観に苦しみ問題が生じた時、先の点から始まる教育には、その根っこの部分が、盲点になっているのではないか。親身な対治がおこなわれれば、おこなわれるほど、ますます子どもは苦しむということがあるのではないか。その親身に応えようとする時もあるかもしれないが、根っこの部分ではかなりすれ違ってしまっている。子どもの、時に引き起こされるショッキングな事件の核には、何があるのか。1度、疑いもしない価値観を疑うことで見えてくるものはないか。良かれという事が対治になってはいなかったか。 原因を現在ある価値観のなかで探そうとし、最もらしい理由をつけ終わったと考えるけれど、それは根っこの部分で解決にはなっていない事がある。そして、再び同じような事が生じてしまう。

常々考えることは、作品をつくる人間にも観る人間にもアートは対治にも同治にもなるものなのではないかということ。 作品をただ与えられ既成の価値観を押し付けられた時、それは対治的になり得るが、作品の中に自分なりの価値観を見出した時、その作品に鼓舞され、悩んだ時にふと思い出すような自分に同治的な作品となる。
また、作品をつくる人間も、制作する過程でアートの持つ両面性を体感する。作品が自らに、対治的に作用したり、同治的に作用したりして形を持っていく。 この過程を経て、表したい主題の着地点を見出してゆく。あるアーティストは自らに対治的な体験を作品をつくることで、同治的なものにしている。制作から完成までの過程から作品をみると、その両面を行ったり来たりしながら、制作したことが追体験できるようで、作品を観る人の心に響く。そんな体験を改めてある作品の前で強く感じた。

過去のノートの日付は2014年8月。
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# by shunya-asami | 2017-03-26 01:14 | 日記 | Trackback | Comments(0)
さいたま市のアートプロジェクト意見交換プログラムレポート
【さいたま市のアートプロジェクト意見交換プログラムレポート】

去る2017年3月18日

さいたま市のアートプロジェクトをテーマにした意見交換プログラムに参加しました。

私は、昨年さいたま市で初めて行われた芸術祭「さいたまトリエンナーレ2016」のプロジェクトの1つとして展開した『SMF学校』の実践報告をしました。

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イントロダクションでは、2006-2009年に越谷市で展開した「まちアートプロジェクト越谷」と2008年から運営しているKAPL(越谷アートポイント・ラボ)の紹介。

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次に香川県で2016年4月29日から5月22日に開催した『かがわ・山なみ芸術祭2016 綾川町エリア』の概要を紹介。

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その中で、開催まで参加アーティストが地域の保育園や学校、社会福祉施設へ出向きワークショップを展開して、地域の人たちとの交流を図ってきたこと。



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また、画家の藤本絢子さんの地域の方が集う憩いのスペースの壁画が出来上がるまでのプロセスを具体的な事例の一つとして紹介しました。

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長期レジデンスをして作品制作のプロセスを地域の人たちと共有することで、どこかから輸入される価値観を地域に入れていくのではなく、アーティストが地域の人たちと生活を共にすることで、アートへの理解や応援の気持ちが生まれたことを報告しました。このような心情を醸成する一つの要素として、かつてアトリエで作品をつくっていたアーティストが地域で制作することは、今まで見えなかった制作の様子や作家が制作の中で秘匿していた部分(ひみつ)を、オープンにして共有すること(ひみつの共有)になります。このことが、地域で作品制作をする時の大きな要素となっているように感じています。
                                 
また、作家がどのように地域で自立し、作品制作ができるのか考えていく手立てとして『芸術祭通貨』の導入を試みてみたことを紹介しました。

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以上のような経験を経て、さいたまトリエンナーレでは『SMF学校』をコーディネートしていきます。

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SMF(サイタマミューズフォーラム)は、2008年から埼玉県立近代美術館をキーステーションとして、うらわ美術館、川越市立美術館、入間市博物館、川口アートギャラリーアトリアの公立美術館が連携し、地域を含めた動きのあるプログラムを展開しているアートチームです。

約10年の活動の中でつながってきた様々なジャンルのアーティストの「とくいわざ」を生かしたプログラムを「生活都市」をテーマに「授業」として展開する学校が『SMF学校』です。

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ロケーションは大宮駅から徒歩15分ぐらいの場所にある市民会館おおみやの旧地下食堂。改装前はかなりレトロ感満載で、油の匂いが漂う場所でしたが、その場の雰囲気を生かしつつリノベーションして人が集まる学校の雰囲気にしていきました。
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その『SMF学校』をつくるにあたり、フレームとコンテンツの2つのカテゴリーでそれぞれ3つのことを大事に、展開していきました。

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フレームでは、
・生活都市という環境
・継続的なプログラム
・他の「場」との連動

を意識してコーディネートをしました。
                                 
「生活都市という環境」は、さいたま市がベットタウンであることを生かし、特に金曜日のプログラムの構成を工夫しました。金曜日の仕事帰りのサラリーマンが飲みに行くのではなく、自分の生活しているまちでアートの時間はどうですか?という提案です。金曜日は座学に絞りこみさらにアーティストのマニアックな話を展開してもらう時間にしたところ。これがとても好評でリピーターが現れる効果を生み出しました。

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「継続的なプログラム」では、地域でこれまで活動している団体やチームと積極的に連携し、プログラムをつくりあげていくことで、トリエンナーレが終わった後も継続して連携できる場につなげていく試みです。今回はヒアシンスハウスの会、JIAさいたまなどの団体と共同して魅力的なプログラムをつくることができました。
 

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「他の「場」との連動」では、埼玉県立近代美術館の教育普及プログラムを出張して2日間展開。美術館での取り組みを美術館に来ない方へも発信する機会となりました。

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コンテンツでは、
・SMFのネットワークを生かした幅広い「授業」
・化学反応を促す講師の組み合わせ
・トリエンナーレ自体をくすぐるようなアクション

を試みてコーディネートを考えました。

「SMFのネットワークを生かした幅広い「授業」」では、SMFには様々な表現方法を持ったアーティストが集っているので、その多彩な表現に触れることができる時間をつくることで、多角的に「生活都市」を考える機会になると考えました。

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「化学反応を促す講師の組み合わせ」では、SMFに参加する人の年代が幅広いため、ベテランの世代のアーティストと若手のアーティストをマッチングさせ、その中でそれぞれの視点を交換した「授業」のプランを考えました。その試みはアーティストどうしの刺激にもなり、新たなインスピレーションが生まれる場ともなりました。

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「トリエンナーレ自体をくすぐるようなアクション」では、トリエンナーレが地元で開催される中、黒船来航のようにただトリエンナーレを迎えるのではなく、何かしらトリエンナーレをくすぐっていくようなアクションを組み込んでいきました。


具体的には、参加する芸術祭をテーマにしたトリエンナーレでは、ただアーティストのワークショップに参加することが、「参加すること」になるだろうか?、「まちでトリエンナーレを知っているか?と聞いても知っている人が少ないぞ!?」、「さいたま市といっても限られた空間でしかやってないぞ!?」といった疑問から、自分の作品をまちに持って行き、まちを展示空間にする『サンドイッチアートマン inさいたま』を展開。


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さらに、まちの中で展開する企画を考えた時、様々な管理の状況から実行が困難な中、パフォーマンスを中心にまちへ働きかけたアーティストの事例を報告しました。

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終わりに成果と課題を挙げさせていただきました。

成果

・生活都市ならではのアートの展開が図られたこと
・アートにより様々なジャンルの人たちが連携したこと
・さいたま市のアートの資源が再確認できたこと

課題

・行政主導のアートの管理と表現活動の関係
・継続の手立ての模索

この経験を生かし、さらに次に向けて展開していきたいと思います。ご静聴いただきました皆様、今回の発表の機会を与えていただきました松永さんに深く御礼申し上げます。

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●関連リンク

・KAPL(コシガヤアートポイント・ラボ)
http://kapl2008.wixsite.com/kapl

・まちアートプロジェクト
http://townart.exblog.jp/

・かがわ山なみ芸術祭
http://www.monohouse.org/yamanami/

・かがわ山なみ芸術祭・綾川町エリア
http://kyaf2016ayagawa.wixsite.com/dialoguewithnow

・さいたまトリエンナーレ2016
https://saitamatriennale.jp/

・SMF(サイタマミューズフォーラム)
http://www.artplatform.jp/

・SMF学校
http://smfartschool.wixsite.com/saitama

・サンドイッチアートマン inさいたま
http://asaworks.exblog.jp/23721825/

・さいたまトリエンナーレ2016の可能性と課題
ー新しいタイプの芸術祭をどう評価し継続するかー
http://asaworks.exblog.jp/23699076/


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# by shunya-asami | 2017-03-22 12:27 | さいたまトリエンナーレ2016 | Trackback | Comments(0)
さいたまトリエンナーレ2016SMF学校・実践発表のお知らせ
【実践発表のお知らせ】

明日、現在浦和で開催されている。
旧中山道文化資源再生プロジェクト「美術と街巡り・浦和」意見交換グラムーさいたま市のアートプロジェクトー

事例報告4にて
さいたまトリエンナーレ2016
「SMF学校」について実践報告をいたします。
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昨年お世話になった「かがわ・山なみ芸術祭」のメンバーの方々も交え、闊達な意見交換の場となるようです。

どうぞご来場ください。



●開催日時:
2017 年 3月 18 日(土)
17:30 ~21:00

●会場 :
市民会館うらわ 1 階 101 集会室

●詳細:
旧中山道文化資源再生プロジェクト
美術と街巡り・浦和ホームページ
http://arttown.web.fc2.com/
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# by shunya-asami | 2017-03-17 14:14 | NEW!最新情報 | Trackback | Comments(0)
「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」展を観て
アーツ千代田3331にて開催されている「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」展を観る。

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この手の展示は、現場は他のどこかや、過去にあり、アーカイブを中心に観ることになるのだけれど、どこか墓標みたいな印象と、教育的働きかけを感じる。後、まとめられていく窮屈さ。

ネガティヴな意味でなく、こうした展示の外側には生きた現場があり、人がなにかを目指して行うアクションの熱がある。

過去化、アーカイブ化、資料化、展示化、アート化、されて行く事と、現場の「差」や「間」に、大事な「核」になるようなものがあるのではないかと改めて考える機会になった。

そこで、さいたまトリエンナーレを振り返ると、そうした過去化、アーカイブ化、資料化、展示化、アート化、していきながら、現場も会期中走り続けている面白い芸術祭だったなと思う。

帰った後、手元のクレア=ビショップ著『人工地獄 現代アートと観者の政治学』をパラパラと読み返していた。そこでハイライトが当たったテキストがあったのでざっくり概要をメモしておこうと思う。

フェリックス・ガタリは著書「カオスモーズ」の中で、今日私たちが頻繁に出合う領域横断的なプロジェクトーとくに、芸術としての教育ーでは「二重の目的因」を持たねばならないとした。1つは芸術に対する批評として、もう一つは芸術が浸透する体制の批評として。こうした芸術は臨場的にそこにいる参加者と事後的に存在する鑑賞者たち、この両者に向き合う必要があり、それは芸術及び社会領域の双方において功をなさねばならない。

とガタリの思考を例に出し、著者は指摘している。

つまりアートプロジェクトが行われる「現場」と「その後」についてそれぞれに働きかけ、その交差点に生まれたものは何かを見出していくこと。そして見出したらそれを工夫して伝える(現在はその基準がなかったり曖昧なので基準自体をつくりだす必要もある)ことを模索し続ける必要がある。言って見れば当たり前のことなのだけど、それをいざ行おうと思った時、途方に暮れてしまう。

止めずに諦めずにゆっくりと探していきたいと改めて感じた。

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さいたまトリエンナーレ2016
https://saitamatriennale.jp/

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展覧会は3/5まで。
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# by shunya-asami | 2017-02-27 19:50 | アートレポート | Trackback | Comments(0)



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